弥勒菩薩のサディズム、再び。
どんな小説を題材にするか、そのセレクトも演出家にお任せするのが『官能教育』の基本ですが、これまでに3度、私から作品を指定したことがあります。藤田貴大さんに中勘助の「犬」、大谷能生さんに川端康成の「山の音」、そして糸井幸之介さんに「安寿と厨子王」でした。
「安寿と厨子王」がエロ? と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれません。過酷な運命に翻弄される姉弟の話に、多くの人は絵本で出合います。作者不詳、中世に生まれた説法節が元という物語は、森鴎外が「山椒大夫」というタイトルで小説にしていますが、これもエロとはまったく無縁です。
でも思わずにいられないのです。姉弟と違う船で連れ去られた母は、間違いなく女郎に売られたはずだと。最初は高貴な出の女として高く売られるも、やがて最下層の売女になったのではないか。成長して本来の身分を取り戻した厨子王が奇跡の再会を果たした時、母が盲目になっているのは、そうした因果によって罹った性病が原因ではなかったのかと。また、山椒大夫の屋敷で下働きをさせられていた安寿は、当然、大夫の慰みものになっていたでしょう。
そんな私見を、糸井さんは弥勒菩薩のような笑顔で静かに聞き、そして、とんでもない傑作をつくってくれました。母親のエピソードには触れなかったものの、自らが山椒大夫となり、安寿役の井上みなみさんを、やっぱり弥勒菩薩のような穏やかな顔でいじめ抜いたのです。
そして安寿が絶命する時に歌った歌を、今も私は忘れられません。糸井さんが作・演出・作詞・作曲するFUKAI PRODUCE羽衣の曲の数々はどれも、人がひとりで生まれてひとりで死んでいくという諦観が、慈しみの歌詞と明るいメロディで歌われます。その集大成がそのシーンの曲でした。中林舞さんが振り付けてくれた踊りも併せ、井上さんがそれを堂々と昇華していて、鳥肌が立ちました。
それがもう1度観たくて、もっともっと多くの方に観ていただきたくて、再演を決めました。
どうか『官能教育』、傑作中の傑作に足をお運びください。
Produce lab 89(プロデュースラボ・ハチジュウキュウ)責任者
徳永京子